
昼になっても外気はあまり上がらず、日差しはあるものの、空気は冷たいままだった。
そんな日は、自然と温かい食べ物のことを考えてしまう。
冬になると鍋が一番のご馳走だった、という記憶が、昼の静かな時間にふとよみがえった。
昭和四十年代の冬、特別な料理が並ぶことは多くなかったが、鍋の日だけは別だった。
白菜や大根、豆腐に長ねぎ。
決して豪華ではないが、家族全員が同じ鍋を囲むというだけで、食卓には特別な空気が流れていた。湯気が立ちのぼり、眼鏡が曇り、笑い声が自然と増えていく。
石炭ストーブの上でコトコトと煮込まれる鍋は、時間をかけて味が染み込んでいった。
火加減を見ながら、母が鍋の中をのぞき込み、「もう少しかな」とつぶやく声。
父は黙って座りながらも、鍋の様子を気にしていた。
そうした何気ない光景が、今となっては貴重なものだった、昼の穏やかな時間に改めて思う。
食べることは、生きることそのものだが、誰と、どんな空気の中で食べるかによって、その価値は大きく変わる。
あの頃の鍋は、体を温めるだけでなく、心までも満たしてくれていた。
決して豊かではなかったが、不足を感じることもなかった。
昼下がりの静かな部屋で、そんな記憶をたどりながら、今もなお、温かいものを「美味しい」と感じられる心を持っていることに、そっと感謝した。
明るい気持ちになる言葉:
「ささやかな食卓が、いちばんの贅沢になる」

