
スキー遠足の楽しみは、実は前日から始まっていた。
母から渡された百円玉。
それをぎゅっと握りしめ、私は近所のお店へ向かった。
北海道の冬道は固く踏み固められ、靴の裏がきゅっきゅっと鳴る。
吐く息は白く、胸の中はわくわくと熱い。
店の扉を開けると、灯油ストーブの匂いと、少し甘い駄菓子の匂いが混ざっていた。
棚いっぱいに並ぶ色とりどりのお菓子。チョコレート、ガム、飴、スナック菓子。
百円以内に収めなければならないという制限が、かえって真剣さを生んだ。
「あと十円足りない…」
「これをやめれば入る…」
子どもなりに計算し、悩み、決断する。
あの時間は、小さな経営者のような気分だった。
レジでおばさんに百円玉を渡すと、「遠足かい?」と聞かれた。
「うん、スキー遠足!」と胸を張る。
たったそれだけの会話なのに、自分が特別な日の主役になった気がした。
翌日、雪の上で友だちとおやつを広げる。
「それ、どこで買ったの?」
「近所の店だよ。」
そう言うとき、なぜか誇らしかった。
豪華ではない。けれど、自分で選んだ百円分の宝物。
今思えば、あの百円玉には、自由と責任と楽しさが詰まっていた。
限られた中で工夫する喜びを、私はあの小さなお店で学んだのだ。
人生も同じかもしれない。限りがあるからこそ、選ぶ意味がある。
あの百円玉の重みは、今も心のどこかに残っている。
明るい気持ちになる言葉:
100円で買ったのは、明日を待ち遠しく思う魔法だった。

