
ブリキの缶は、家の中の決まった場所にあった。
棚の隅や、引き出しの奥。探さなくても、自然と手が伸びる場所。
缶を開けると、家の音が重なって聞こえてくる。
台所で何かを煮る音、遠くのテレビ、誰かの足音。
それらは特別な音ではないのに、
今ではもう、簡単には戻れない音だ。
「ゆっくり舐めなさい」
そう言われた声は、今ほどはっきり思い出せないけれど、
やさしかったことだけは、確かに覚えている。
ブリキの缶は冷たいはずなのに、
そのそばにある時間は、いつもあたたかかった。
家の中にいる、というだけで、どこか安心していた。
あの感覚は、きっともう二度と同じ形では戻らない。
だからこそ、記憶の中で、何度も確かめてしまう。
明るい気持ちになる言葉:
「帰る場所があったことを、思い出せる」

