
家に帰ると、ランドセルを玄関に置いたまま「行ってきます!」ともう一度外へ飛び出すのが、あの頃のいつもの流れだった。
昭和三十六年の夕方、家の近くの空き地や路地は、私たちにとって宝物みたいな遊び場だった。
舗装されていない土の道は、雨が降ればぬかるみ、晴れれば白いほこりが舞い上がる。
そんな場所が、毎日違う表情を見せてくれる舞台だった。
近所の子どもたちは、誰かが声をかけなくても自然と集まり、気づけば遊びの輪ができていた。
ゴム跳びは、その日の主役みたいな遊びだった。
誰かの家から持ってきた長いゴムを電柱や庭木に結び、順番に跳んでいく。
「次はひざ!」「次は腰!」と高さが上がるたびに歓声が大きくなる。
失敗すれば悔しくて地団駄を踏み、成功すれば胸を張って得意顔。
たったそれだけのことなのに、世界のすべてをかけた挑戦みたいに本気だった。
少し飽きると、今度は泥だんご作りが始まる。
空き地の隅の、少し湿った土が最高の材料だった。
水の量を間違えると割れてしまうし、乾きすぎるとひびが入る。
手のひらで何度も転がしながら、みんな黙々と理想の丸さを目指した。
つるつるに磨き上げた泥だんごを夕日にかざすときの誇らしさは、小さな職人の完成披露だった。
遠くから母の呼ぶ声が聞こえると、「もうそんな時間か」と急に現実に戻る。
でも、頬を赤くして息を弾ませながら家に戻る足取りは、どこか誇らしかった。
今日も思いきり遊んだ、という満足感が体じゅうに残っていた。
あの頃の私は、何も持っていない子どもだったのに、本当は毎日宝物の中で生きていたのだ。
友だちの笑い声、土の匂い、夕暮れの空の色。
思い出すたびに胸があたたかくなり、今の私にも「まだ大丈夫」とそっと力をくれる。
明るい気持ちになる言葉:
あの頃の笑顔は、今の私を支えている

