
押し入れの奥から取り出した黒いランドセルは、静かな存在感を放っていた。
表面の牛革は長い年月を経て柔らかさを増し、光の当たり方で深い艶を見せる。
縁の擦れや細かな傷は、父が歩んだ昭和の時間そのもののように思えた。
これは父が子どもの頃、父の祖父が贈った牛革のランドセルだ。
物の少ない時代に誂えられた丈夫な鞄。
その中に入っていたのは、教科書と筆入れだけだったと父は言う。
余計な物は持たない。それが当たり前の時代だった。
けれど父は、その「少なさ」を寂しいと思ったことはなかったらしい。
むしろ、牛革の重みと、毎日同じ中身をきちんと整えて入れる習慣が、子ども心に誇らしかったのだという。
朝、母に「忘れ物はないか」と聞かれ、「大丈夫」と答える。
そのやり取りもまた、日々の安心のひとつだった。
そっと背負ってみると、空でも重い。けれどそれは革の重さだけではない。
家族の願い、学ぶことへの期待、昭和の暮らしの静かな強さ――そうしたものが詰まっている気がした。黒い牛革の奥に、父の小さな背中が今も息づいている。
明るい気持ちになる言葉:
重みは、愛の証

