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湯船に沈み、家族の時間を思う

湯船に沈み、家族の時間を思う
今日はお風呂場をきれいに洗い、湯船に浸かろうと決めていた。
掃除をしながら、湯のある暮らしが当たり前になった今と、そうではなかった昔を比べてしまう。

小学生の頃、家には風呂がなく、家族で銭湯へ通っていた。
夕方になると、母が「そろそろ行こうか」と声をかけ、父は黙って手拭いや石鹸を用意する。
その一連の流れが、日常の一部だった。

銭湯までの道を、家族で並んで歩く。
父の歩幅は大きく、私は少し遅れがちだった。
母は振り返りながら、無言で歩調を合わせてくれた。

そのさりげない気遣いが、今になって胸に残る。

銭湯の湯は熱く、父は先に湯に入り、私が入ると「無理するな」と短く声をかけた。
母は脱衣所で他の人と世間話をしながらも、私たち子供の様子を気にしてくれていた。

男性と女性の湯の中から多くの家族の話声が聞こえる、公共の場でも家族が同じ時間を共有している安心感があった。

今の湯船は静かだが、あの頃の湯には、家族の気配と生活の重みが溶け込んでいた。

明るい気持ちになる言葉
家族と過ごした温もりは、時を越えて身体に残る。

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