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音で始まる、家の朝

音で始まる、家の朝
朝、目を覚ます前から、台所のまな板の音が耳に届いていた。
一定の調子で、包丁が木に当たる乾いた音。
そのリズムは、昭和四十年代の我が家にとって、目覚まし時計の代わりのようなものだった。

布団の中で目を閉じたまま、その音を聞いていると、「今日も変わらない朝が来た」という安心が、胸の奥に静かに広がっていく。

台所に立つ母は、着物の上に白い割烹着を羽織っている。
その後ろ姿は、いつも忙しそうでありながら、不思議と落ち着いて見えた。
袖を押さえ、手際よく動く手。

声をかけなくても、家の中心がそこにあることがわかる。
母の立つ台所は、家族の一日を支える場所だった。

居間に行くと、父はすでに支度を終え、新聞を広げていた。
近づくと、ほのかに漂うポマードの匂いが鼻に届く。
その匂いは、仕事に向かう父の象徴のようで、子どもながらに背筋が伸びた。

父は多くを語らなかったが、その姿そのものが、家族にとっての指針だった。

ちゃぶ台を囲むと、五人家族が自然と揃う。
特別な料理はなくても、味噌汁の湯気と白いご飯があれば十分だった。
誰かが話し、誰かが笑い、誰かが黙って箸を動かす。

そのすべてが混ざり合い、朝の時間は賑やかで温かかった。

祖母は、ちゃぶ台の端に座り、湯のみを両手で包むように持っていた。
その仕草はとてもやさしく、家族の会話を静かに見守っているようだった。
多くを語らずとも、その存在が家の空気を丸くしていた。

あの頃の朝は、決して余裕があったわけではない。
それでも、家族が揃い、同じ音、同じ匂い、同じ時間を共有しているだけで、一日は十分に満たされていたのだと思う。

明るい気持ちになる言葉
家族の気配は、言葉よりも先に心を起こしてくれる。

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