
師走が近づくと、空気は一段と乾き、朝の吐く息が白くなる。
そんな頃になると、決まって思い出すのが、軒先に吊るされた干し大根の光景である。
物干し竿や太い針金に、縄で結ばれた大根がずらりと並び、冷たい風に揺れていた。
白く長い大根が冬の陽を受けて淡く光り、下を通るたび、かすかな大根の匂いが鼻をくすぐった。
朝早く、母は井戸水を汲み、凍えるほど冷たい水で大根を一本ずつ洗っていた。
ゴム手袋などはなく、赤くなった手で土を丁寧に落とし、皮をむき、紐を通す穴を開ける。
その一連の動作に無駄はなく、長年の経験が身体に染みついているようだった。
私は縁側に座り、その様子をぼんやりと眺めながら、白い息を吐いていた。
干し上がった大根は、やがて母の手でたくあんや煮物へと姿を変える。
食卓には、必ずと言っていいほど母の漬物が並び、特別な料理でなくとも、それがあるだけで食事が整った気がした。
今思えば、あの味は、調味料以上に、母の時間と手間が染み込んだものだったのだろう。
静かな冬の日差しの中で揺れる干し大根を思い出すと、胸の奥がじんわりと温かくなる。
何気ない日常が、こんなにも豊かな記憶を残してくれるのだと、今になって深く感じている。
明るい気持ちになる言葉:
「静かな手仕事は、暮らしの中に確かな温もりを残してくれる」
