
薪ストーブの前は、兄弟の定位置だった。
学校から帰ると、ランドセルを放り出し、二人してストーブの前に座り込む。
六歳下の弟は、まだ言葉もたどたどしく、よく私の真似をしていた。
足の投げ出し方まで同じで、今思えば、少し可笑しい光景だった。
ストーブの後ろには、大きな湯沸かし器があり、母がこまめに水を足していた。
「空焚きすると危ないからね」と、何度も言われた。
その声は優しかったが、どこか厳しさも含んでいて、昭和の母親らしい響きがあった。
朝、煙突の曲がり角が暖かいことを知ったのは、偶然だった。
近づけすぎて、思わず声を上げた。
その跡は長く残り、しばらく座るたびに思い出した。
数日後、弟も同じことをして火傷をした。
泣きながら母に抱きつく弟を見て、胸の奥がきゅっと締めつけられた。
兄として、守らなければならない存在がいる。
その感覚を、あのとき初めてはっきりと自覚した気がする。
弟の泣き顔は、今でも忘れられない。
ストーブの火は、暖かさと同時に、責任も教えてくれた。
並んで座っていた時間は、ただの冬の日常ではなく、兄弟の距離を決める大切な時間だった。
明るい気持ちになる言葉:
並んでいた時間が、今も心を温めている。
