草津温泉を訪れたのは、心に少し余白が欲しくなった時だった。
慌ただしい日々に追われていると、気づかぬうちに呼吸が浅くなり、
心の声も置き去りにしてしまう。
そんな時にふと浮かんだのが、かねてから憧れていた草津の湯だった。
木造の旅館に足を踏み入れた瞬間、畳の香りと柔らかな灯りに迎えられ、
日常のざわめきが遠ざかっていくのを感じた。
窓の外には山の緑が広がり、深呼吸をするだけで体の奥まで澄んでいくようだった。
夕刻、露天風呂へ。
白い湯けむりに包まれながら湯に浸かると、張り詰めていたものがふっと解けていく。
肩をなでるお湯はやさしく、頬に触れる風は凛としていて、その対比が心地よい。
空を仰ぐと、夕暮れがほんのりと赤みを帯び、湯面に映る光が刻一刻と変化していった。
湯けむりがライトに照らされて揺らめき、光と影が織りなす光景は幻想的だった。
流れる湯の音は力強く、それでいて不思議と心を鎮める響きを持っている。
観光客のざわめきの奥に、静かな呼吸のような町の鼓動が確かに感じられた。
足を止めた射的屋には、子どもの頃の縁日のような懐かしさがあった。
蒸したての温泉まんじゅうを口にすれば、素朴な甘さが旅の小さな喜びとなって広がる。
こうした一瞬こそ、旅を記憶に残すものなのだと思う。
翌朝、再び湯畑を訪れると、朝の光の中で湯けむりが淡く輝き、
町全体が清らかな気配に包まれていた。
足湯に浸かりながらその光景を眺めていると、心の奥に柔らかな余白が生まれ、
「またここに帰ってきたい」と思わずにはいられなかった。
草津の魅力は、四季折々の表情にあるのだろう。
春には新緑の間から差し込む光が、湯けむりをやわらかに染め、
どこか希望に満ちた気配を運んでくる。
夏には青々とした森を渡る風が、熱を帯びた体を優しく冷まし、
露天風呂をさらに心地よいものにする。
秋には赤や黄金に染まった木々が湯面に映り込み、
温泉街全体がひとつの絵画のように色づく。
そして冬には、白い雪が音もなく降り積もり、
湯けむりと溶け合って幻想的な世界をつくり出す。
雪を眺めながら湯に浸かる光景は、まだ見ぬ憧れとして心に強く残っている。
草津の湯は、体を癒すだけではない。
それは心に輪郭を与え、日常の中で忘れがちな
「ゆっくりと深呼吸する時間」を思い出させてくれるものだった。
旅を終えた今でも、その温もりは記憶の奥で静かに息づき、
次に訪れる季節を楽しみに待つ気持ちを育んでいる。