
あの商店街は、きっと今もあの場所で息をしている。
店を切り盛りする人は代わったかもしれないけれど、ガラス戸の奥には変わらない日常のやり取りがあって、いつものように「ただいま」や「こんにちは」が行き交っていると思う。
豆腐の湯気も、文房具屋のガラスケースのきらめきも、たばこ屋さんの小さなカウンターも、形は少しずつ変わっても、役目までは消えていない気がする。
あの場所はきっと今も、誰かの寄り道を受け止めながら、静かににぎわっている――そんなふうに思っていたい。
豆腐の匂いを思い出せる自分がいる。
文房具屋のガラスケースのときめきを覚えている自分がいる。
飴玉をもらって誇らしかった気持ちを、今も胸のどこかに持っている。景色は消えても、そこで感じた感情は消えないんだな、と今日しみじみ思った。
忙しさに追われていると、心がどんどん無機質になっていく気がする。
だけど思い出は、そんな自分に「昔はもっと素直に喜べてたよ」と教えてくれる。
過去を懐かしむのは後ろ向きだと思っていたけれど、違うのかもしれない。
今の自分があるのは、あの商店街で過ごした日々があったからこそだ。
ふと思い出して、心がふわりと軽くなる。
そんな瞬間があっただけで、今日はいい日だったと思える。
明るい気持ちになる言葉:
「過去の自分は、一番の理解者だ」
