PR
スポンサーリンク

「さてさて」の合図で、僕らは一つになった

「さてさて」の合図で、僕らは一つになった
昭和の十円玉は、重たかった。
それは金属の重さではなく、期待の重さだ。

母からもらった十円玉を、ぎゅっと握りしめて走った。
落としたら大変だ。あの飴が買えない。

あの紙芝居が、もっと面白く見えない気がしたからだ。
子ども心に、飴を買うという行為は「参加する」ということだった。

おじさんは、飴を買った子にも買わなかった子にも、同じように紙芝居を見せてくれた。
でも、やっぱり買えた日は少し誇らしかった。

飴は特別おいしいわけじゃない。
それでも、なめながら聞く物語は、なぜか格別だった。

あの頃の僕たちは、今よりもずっと「待つ」ことができたと思う。

次のページがめくられるまでの時間。
次のおじさんが来るまでの一週間。

便利なものはなかったけれど、想像する力は無限だった。

十円玉ひとつで、あれだけ胸が高鳴った。
そう考えると、幸せの単位は本当に小さくてよかったのだと思う。

大人になった今、財布は少し厚くなった。
でも、あの頃のときめきは、簡単には買えない。

それでも思う。
あの小さな手の中には、ちゃんと夢が握られていたのだと。

明るい気持ちになる言葉
小さな手に残るほどの、大きな夢をくれた場所。

タイトルとURLをコピーしました