
陽が高くなっても、空気の冷たさは変わらない。
水道は相変わらず思うように使えず、鍋で湯を沸かしながら一つ一つの動作を確かめる。
面倒だと感じてもおかしくないはずなのに、今日はその手間を拒む気持ちが起きなかった。
湯気の立つ鍋を見つめていると、時間がゆっくりと流れていくのが分かる。
便利さに慣れすぎていた自分が、ここにいる。
水が出ること、スイッチを入れれば何でも動くこと。
その「当たり前」が、実はとても脆いものだという事実が、胸の奥で静かに広がっていった。
昼食は質素だったが、温かさが身体に染みた。
食べながら、何度も深く息を吸う。
何かを考えようとしているわけではない。
ただ、今ここにいる自分を確かめるような時間だった。
何も起きない日曜日。
けれど、心の中では確かに何かが整っていく。
若い頃の自分なら、この静けさを退屈と呼んだかもしれない。
今は違う。この静けさが、自分を支えてくれていることが分かる。
不便さは、心を急がせない。そう気づけた昼だった。
明るい気持ちになる言葉:
立ち止まる時間は、心を元の場所へ戻してくれる。
