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ちゃぶ台を囲む、五人の距離

ちゃぶ台を囲む、五人の距離
ちゃぶ台を囲むと、自然と五人の距離は近くなる。
昭和四十年代の我が家では、それが当たり前だった。
膝と膝が触れそうなほどの近さで、家族は朝食をとっていた。

今なら窮屈に感じるかもしれないが、当時はその近さが心地よかった。

母が運んでくる味噌汁から湯気が立ち上り、父は新聞を畳んで箸を取る。
ポマードの匂いがまだ残る中で、食卓の空気はゆっくりと和らいでいく。
誰かが何気ない話をし、誰かがそれに笑って応じる。

大きな話題はなくても、そのやり取りが一日の始まりには十分だった。

祖母は、いつも少し離れた場所に座り、湯のみを両手で包んでいた。
その姿は、ちゃぶ台全体を見渡すようで、家族の中心を静かに支えているようにも見えた。
祖母がそこにいるだけで、場の空気は穏やかに保たれていた。

朝の時間は短く、慌ただしいはずなのに、不思議と記憶の中ではゆっくりと流れている。
きっと、心が満たされていたからだろう。
言葉にしなくても、家族がそこにいるという事実が、何よりの安心だった。

今思えば、ちゃぶ台の近さは、家族の距離そのものだった。
離れすぎず、近すぎず、互いの気配を確かめ合える距離。

あの頃の朝食は、ただの食事ではなく、家族が同じ一日を始めるための大切な儀式だったのだ。

明るい気持ちになる言葉
近すぎる距離が、人を安心させることもある。

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