
百メートル走が終わった後、私はしばらく校庭の隅に座っていた。
砂ぼこりが舞い、遠くで応援の声が続いている。
胸はまだドキドキしていた。
正直に言えば、一位になりたかった。
ゴールした瞬間、前を走る二人の背中を見て、心の奥がチクリと痛んだ。
「もう少し速ければ」と何度も思った。
けれど、悔しさは不思議なもので、時間が経つにつれ形を変えた。
涙が出るほどの悔しさではなく、「次はもっと頑張ろう」という静かな決意に変わっていった。
友達が「お前、速かったな」と声をかけてくれた。
その言葉に、私は救われた気がした。
人は一人で走っているようで、実はたくさんの応援に支えられているのだと、子どもながらに感じた瞬間だった。
昭和の運動会は、派手さはなかったけれど、温かさがあった。
手作りのお弁当の匂い、祖父母の拍手、先生の大きな声。
全てが混ざり合って、あの日の空気を作っていた。
悔しさを知ったあの日の私は、少しだけ大人に近づいた気がする。
負けることは終わりではなく、始まりなのだと、あの土の匂いが教えてくれた。
明るい気持ちになる言葉:
悔しさは、明日を走るエネルギー。

