
「お米屋さんが来たよ」という母の声に、なぜか胸が高鳴った。
今のようにスーパーが並ぶ時代ではなく、あの頃はお米はお米屋さんから買うものだった。
白い袋を抱えて帰る母の後ろ姿に、生活の重みと安心が同時に漂っていた。
あの白い粒一つひとつが、私たちの命を支えていたのだと思う。
何気なく食べていたけれど、本当はとても大切なものだった。
今は簡単に手に入るけれど、あの頃の一粒には、人の手と時間と、町のつながりが詰まっていた。
だからこそ、母は丁寧に炊き、丁寧に握ってくれたのだろう。
母は炊きたてのご飯を木のしゃもじでほぐし、ふわりと握る。
力を入れすぎず、でも崩れない絶妙な加減。
私はその様子をじっと見て、「自分もやってみたい」と思いながらも、
熱さに負けてすぐ手を引っ込める。妹と弟は横でくすくす笑っている。
「お兄ちゃん、熱いでしょ?」
「大丈夫だよ、ぼく長男だから」母は笑って言う。
「強がらなくていいのよ。ご飯は優しく握るの」
その言葉は、今でも胸に残っている。
人に接する時も、力を入れすぎず、優しく。
それは母のおにぎりから学んだことかもしれない。
明るい気持ちになる言葉:
日常の中に、宝物はある。

