
家にあった時計は、電池で動くような便利なものではなかった。
大きな木の箱に収まった、背の高い柱時計。
そして、その時計を動かすためには、定期的に「ねじ」を回さなければならなかった。
あの重たい金属のねじを、ゆっくり、ゆっくり回す。
ギリギリギリギリ……という低い音が、家の中に響く。
子どもの頃は、その音が少し怖かった。
けれど同時に、「ああ、時計が生き返った」と感じる、不思議な安心感もあった。
今思えば、あの柱時計は、ただ時間を知らせる道具ではなかった。
家の中の「時間そのもの」を、あの時計が支えていたような気がする。
カチ、コチ、カチ、コチ……。
振り子の音が、家の静けさに溶け込んでいた。
夜になると、その音がやけに大きく聞こえた。
眠れない夜は、振り子のリズムを数えながら目を閉じたこともある。
あの時計は、ただ時を刻んでいたのではなく、
私の子ども時代の記憶を、ゆっくり、確実に刻み続けていたのだと思う。
今はもう、ねじを巻く時計はない。
音もしない、静かなデジタル時計が、ただ数字を表示しているだけだ。
便利になったはずなのに、どこか物足りない。
時間が「音」を失ってしまったような気がする。
あの柱時計のねじを回す音は、
家族がそろっている証のような、温かな音だった。
もし、もう一度あの音を聞けるなら、
私はきっと、子どもの頃よりも、ずっと愛おしく感じるだろう。
明るい気持ちになる言葉:
規則正しいカチコチという音が、私をいつもの安心感で包み込んでくれる。

