
朝の冷え込みが厳しい日は、台所の光景がいっそう愛おしく感じられる。
昭和の我が家の台所は土間続きで、足元から冷気が忍び込んできた。
それでも、かまどに火が入ると空気は一変する。
薪がぱちぱちとはぜ、鉄鍋のふたがかたかた鳴り、湯気が白く立ちのぼる。
その光景は、冬の朝の始まりを告げる合図だった。
母はエプロン姿で、手早く味噌汁を作っていた。
削り節の香りと味噌の匂いが混じり合い、家じゅうに広がる。
私は火の番を任され、うちわでそっと風を送った。
強すぎても弱すぎてもいけないと教えられ、真剣な顔で火を見つめていたものだ。
冷えた手をかざすと、指先の感覚がじんわり戻ってくる。
炊きたてのご飯の湯気は、まるで小さな雲のように立ち上る。
しゃもじでよそってもらった茶碗を両手で包むと、体の芯まで温まる気がした。
食卓は決して豪華ではなかったが、あの朝ごはんには確かなぬくもりがあった。
家族の会話も自然と増え、笑い声が混じる。
寒さの中にあるからこそ、温かさが際立つのだろう。
今は便利な調理器具に囲まれている、あの頃の台所の音や匂いは、心の奥にしっかり残っている。思い出すたび、胸のあたりがじんわりと温かくなる。
明るい気持ちになる言葉:
「湯気の向こうに、やさしい時間がある」

